だけの関係

2年に一度やっている昆虫大学というイベントの準備で忙しい。本当はもっと前から忙しかったはずなのだが、一時期はよくわからないくらい精神的に低迷していてぜんぜん動けず、一緒にやるために集まってくれた人たちに気を揉ませてしまった。今は「中の人が変わったのではないか」と言われる程度にはなんとか動けている。あと2か月強、このテンションでやっていく道しか残されていない。
いろんな人にお願いしたりされたり、持ちかけたことに対してそれを上回るアイデアを出されたりみるみる形になっていくのを見ていると、もう何も食べなくていいし眠らなくてもいいやといった気持ちになる。気持ちの上下動が多すぎて正直疲れるので、ネットのメンタルヘルス診断みたいなのをちょっとやってみたのだが「落ち着かないことがありますか」→よくある といったクソの役にも立ちそうにない設問に答えていくうちに「いやいやいや、心が震えずして何が人間か!ワイは間違ってない!!」と開き直って終了した。
インターネットでできた友達と会っていると、それぞれ程度の差はあるが、お互い自分の精神を持て余しますよねーという前提で話ができるのがとにかく楽だ。

東京の家にいたとき育てていたサボテンやエアプランツはすべて、上海に来るときに人に預けてしまったのだが、上海でも花市場に通ったり通販で購入したりして、だんだん鉢が増えてきた。しかしいちばん場所を取っているのは、入居時からなぜか部屋にあるモンステラだ。切れこみの入った葉が鉢から横に投げ出されるように伸びてきて、ちょっと鬱陶しい。なんとなくハワイ感があって自分では買わないタイプの植物だが、中国に来てすぐの頃はこれが唯一の友達的な精神状態だったことを思うと、お引き取り願うのも気が引ける。「体だけの関係」とか「腐れ縁」とかの単語が胸に浮かぶ。植物にしてみればわたしとの関係はぜんぶ「水だけの関係」なんだけど。
「原稿だけの関係」というのもある。依頼するほうもされるほうもあるが、たとえば依頼されるほうだと「○○みたいな文章を」だとまあ頑張りますみたいな感じで、「今まではちょっと違ったこういうものを書いてほしい」とか言われるとテンションとしては告白されたに等しく、好意を知覚する繊毛がめちゃくちゃサワサワする。
お仕事なのであえてそこをくすぐっている編集者さんも当然いるだろうけれど、赤の他人に「普段やってないことをやってみてほしい、あなたにはそれができると思うし見てみたい」っていうのは、つまりめっちゃ好きってことだと思う。少なくとも、わたしがイベントに協力してくれる人に原稿なり展示なり販売なりをお願いするときはそういう気持ちでやっています。
こんなに自分の中に他人への好意が眠っていたのか……と自覚できるので、こういうイベントをやるのは本当に楽しい。人として生き直している感じがする。ここまで重たい「だけ」があるだろうか。