増刷の目処が立ちましたので在庫を復活しています↓
奇貨 | 沙東すず
これまでの通販分には11/19(日)に発送完了済みです。不備や不着などありましたら、メールにてご連絡ください。
現在ご注文を受けている増刷分は11/29(水)納品→12/3(日)発送予定です(印刷トラブルなどで遅れる場合、その旨ご連絡いたします)。
発送作業の中でなんとなく爆誕したマンドラゴラちゃんです。ヤマトのスタッフさんにもほめられたのでキャラクター化しようかな。
文学フリマ東京/製麺会/『奇貨』通販について
文学フリマ東京は無事に終了しました。来場いただいたみなさま、ありがとうございます。
『奇貨』は会場への直接搬入だったので、箱を開けて刷り上がりを見たときは心底ほっとした。マンドラゴラはわたしの悲鳴のモチーフです。自分そのものだった悲鳴はあげたそばから自分を離れ、受け取った人のものになっていく。
友人には『奇貨』ではなく「呪物」だの「黒い元気玉」だのと呼ばれています。おおげさなしかめっ面で来て「やだなあ…やだなあ…感想はたぶん言いません!」と言いながら買っていった友人もいた。面白がっているのも複雑な気持ちなのも、どちらも本当なのだろう。
ほんとに面白半分でいい。むしろ面白がってほしい。そう思えるようになった今、わたし以上に感情移入してつらさをこらえながら読んでくれる人もいて申し訳ない気持ちになるが、まさに「お前が言うな」である。
文学フリマはブース隣接申請ができるので、夏に声をかけてくれたワクサカソウヘイさんのおかげで藤岡みなみさん、宮田珠己さんらの豪華な島に並ばせてもらった。特に藤岡みなみさんのブースは人だかりが途切れず、その向こうで同じく猛然とZINE『園芸グランドスラム』を売っているはずのワクサカさんがほとんど見えないほどだった。お隣の宮田さんとそれを眺めながら「あれくらい売りたいっすねえ」「いいねえ」と話していたのだが、宮田さんもぼやき上手なだけで途切れずにやってくるファンのお相手をしているのだった。
開場前と閉場間際に走りまわって、それぞれ10分くらいで買った本たち。
閉場後、ワクサカアイランドの有志と飲みに行く。お誕生日会や忘年会など、さらに楽しみな予定や計画がいくつか持ち上がる。あっという間の一日。
翌日の日曜は製麺会。ちょっと前の飲み会で玉置標本さんに「うちで製麺してみろや」と絡んだところ、本当に製麺機と麺生地と朝から煮込んだスープ等々を担いできてくれた。言ってみてよかった!さすが50台の製麺機を持つ男。




— 沙東すず 11/11 文フリ東京G28 (@merec0) 2023年11月12日
沖縄そば、めちゃくちゃおいしいし作ってる最中もすごく盛り上がる。正直いってちょっと製麺機が欲しくなった。うちのインテリアにも合うし…。
玉置さんご自身の記事はこちら↓
しめ鯖や燻製や落花生やハイボールを携えて集まってくれた友達にも『奇貨』を渡す。もう修復が難しそうな人間関係もあるけれど、あの爆発物取扱注意だった期間を越えて見放さずにいてくれている人にはほんとうにありがたいなと思う。
『奇貨』のことでいろいろ動いているうちに、もっとたくさんの人に読ませたい気持ちが湧いてくる。読んでくれた人から感想をもらって調子に乗っているのもあるが、こんなに切実な気持ちで書いたものはこれまでになく、書いてしまったからにはやはり読まれたいのである。
基本的にはいま読んでくれているのはSNSで荒れてたときのわたしを見て心を痛めてくれていた人たちなので感想も温かい。もうひとつ円が拡がれば、もっと容赦なく面倒くさい反応もあるだろう。それでも「もっと読まれたいか?」と訊かれたらイエスしかない。力が…欲しいか…?欲しいです!
そう考えているうちにみずから動く必要を感じ、予定している委託通販とは別に、急遽BASEでショップを作った。最近は匿名発送などの手段も充実しているらしい。必要なのは、自分で発送作業をなんとかする覚悟だけ。
通販のおまけとして、表紙に使われているのと同じマンドラゴラ図のポストカードをdubheさんにご用意いただけることになった。目にも止まらぬ速さで印刷の対応をしてくださいました(文フリで本体のみ購入された方は、よかったらdubheさんのショップもごらんください)。
朝から告知したところ、順調にオーダーをいただきまして現在SOLD OUTになっています。読んでくれる人がいる限り、増刷もすみやかに対応します。Kindle Direct Publishingでの電子化もやってみようと思っている。
四年ぶりの出張、そして文学フリマ
もともと2020年の四月に上海から日本に帰任することになっていたのだが、その準備もかねて春節に日本に帰ったところ、コロナ禍がはじまって今度は中国に戻れなくなった。他の出向者が業務を回すために上海に戻っていく一方で、帰任間近のわたしはそのまま本社にとどまることになり、結局中国で一緒に働いていた人たちにあいさつもできないまま、引っ越しさえもリモートで済ませることになったのだった。
帰任後も海外出張は(とくにわたしの部門は)しづらい状況になり、しばらくお預けに…という状態が四年も続いてしまったが、今週ついに一週間出張してきた。二年半を過ごしたオフィスで、同僚たちがとてもあたたかく迎えてくれた。
忙しなくて充実した時間だったが、いよいよ最後の報告会を終えて明日は帰国するという夜だけは、なぜか動悸がして眠れなかった。
駐在して特に悩みが多かったころ、体に起きていた症状。横たわっていると心臓が喉のほうまで上がってくるように大きく響いて、つい呼吸が浅くなってしまう。
思えば当時、恋人になる前の彼がなんとなく気になる存在になり、一気に惹かれあい、旅先でつきあいはじめる前もよく起きていた症状。またこの春、いきなり裏切られたあとも。
当時感じていた重圧、そしてそのあとはじまったコロナ禍の先が見えない暗さに支えられていた関係だったのだな、と、謎のリズムで跳ねる心臓を抱えて思った。
リモート引っ越しでこの形状のためか業者さんに運んでもらえず、現地オフィスで預かってもらって、四年越しで新居にやってきたライトスタンド。上海の旧市街にあった雑貨屋で買ったもの。
明日(今日)の文フリで新刊『奇貨』を販売します。各方面に大丈夫なのかと思われている気がしますが、『奇貨』のゲラを裏紙にして、めくるたびに「怖えこと書いてあるなあ…」とひとごとのように思うくらい元気です。人にはおすすめできないが、そういう乗り越え方もある。
自分から見た現実を自分の中で捉え直して書きつづる作業は非常につらいものだったが、ゲラになった瞬間、起きたことがひとつ遠い次元に遠ざかっていった。編集者の田中さんに鉛筆を入れてもらい、デザイナーの畑さんに整えていただいた装丁にテキストが載った時点でスイッチが切り替わった。関わってくれた方にとっても実際やりにくい仕事だったと思うけれど、人となにかを作ることにはそういう作用がある。
11/11(土)に流通センターで開催される文学フリマ、【G-28 沙東すず】でお待ちしています。後日、通販についてもお知らせします。会場ではじめて現物を見るため、関係者への献本については文フリ後となりますがご容赦ください。面白いです。
【G-23】ワクサカソウヘイさんのブースで販売される『園芸グランドスラム』にも、マンドラゴラをテーマにした奇譚「絶叫草」を寄稿しています。面白いです。
さらに食虫植物愛好家の木谷美咲さん、ワクサカソウヘイさんとの、恋の終わりについての鼎談も掲載されています。最後は中年が創作においてどう「飽き」と向き合うか?という議論になっていく。面白いです。
新刊『奇貨』について
『奇貨』という新作を出します。

『奇貨』沙東すず
装丁:畑ユリエ
表紙協力:dubhe
編集協力:田中祥子
今年の3月、恋人に突然の別れを切り出されました。その数日後には元恋人が新しく好きになった女性と旅行に行くことが偶然わかり、苦しみながらも経緯を知ろうとしたり、やりとりがどんどん泥沼化していったり、Twitterで荒れたり、周囲との人間関係も悪化する一方で力になってくれる人もいたり…という半年強の記録です。
2021年に出した『こいわずらわしい』の続編ともいえる内容なので、あわせて読むとより楽しめると思います。三年経つとハートがマンドラゴラに…。
書くことで吐き出して元気になりたい、そのためならなんでもする、というのがわたしの願いで、実際にそれは果たされたと思います。元気になることを他人から強要され傷つく場面も出てきますし、書いている最中は別に綺麗に終わらせる気はありませんでした。書きながら「これが人に読ませられる話になるためにはわたしが元気になるという"展開"が必要だな」と自然に感じ、それがいい方に心に作用したのだと思う。その結果、ただ暗いだけの話ではなくなったはずです。
書いた動機や内容についてもっと説明しようかとも考えましたが、事前に読んでくれた方々のアドバイスも受け、まえがきと1章を試し読みとして公開することにしました。
初売りは一週間後の11/11(土)文学フリマ(東京流通センター)、ブースは「G28 沙東すず」です。
c.bunfree.net
イベント後には通販なども行う予定です。お手に取ってみてください。
おもバザ・文フリ出展のお知らせ/由布院行
イベント出展のおしらせ
11月は同人誌即売会にふたつ出展します。
① おもしろ同人誌バザール 11/3(金祝)@ベルサール神保町・ベルサール神保町アネックス
11:00~16:00 入場料 1000円
ブース名:「も-26 沙東すず」
『昆虫大学シラバス』黎明編・乱世編を持っていきます。
また、文フリ用の新刊『奇貨』についても、試し読み冊子を準備しようと思います(配布できるかはまだ不明ですが、立ち読みは可能とする予定です)。
②文学フリマ東京37 11/11(土)@東京流通センター
12:00〜17:00 入場無料
ブース名:「G-28 沙東すず」
文学フリマでは新刊のエッセイ『奇貨』を初売りします。同じ島のワクサカソウヘイさんのブースで販売されるZINEにも寄稿しています。
『奇貨』の内容および寄稿についてはあらためて紹介記事を書く予定です。
むりやり読ませた人たちには「面白い…と感想を言ってしまっていいのかな?」と言われがちなのですが、渾身の内容になりました。わたしのこれまでに書いたものの中でいちばん好き、あるいはいちばん嫌いという人が多いと思う。ぜひおたちよりください。
由布院行
10月下旬、実家のある別府に帰省した。両親の金婚式をやろうというので、ひさしぶりに父と母、そして四人の娘と、末の妹の三人の子供たちが集結することになったのである。
沙東家は記念日やセレモニーのたぐいにかなり無頓着なファミリーなのだが、父も80歳を迎え、両親の結婚50年という節目の年なのでお祝いしよう。せっかくなら別府から山を越えたところにある由布院温泉の旅館に一泊しよう、と、おもに長姉の提案で話が進んだのでした。
金曜の夜に実家に着いて一泊したが、家に4匹いるはずの猫たちは怯えあがって隠れてしまい、ほとんど姿を見ることがなかった。昔はこの家にも甘えてくる猫がいたのだが、あまりにも観測不可能なのでわたしにはもう顔と名前が覚えられない。この家の猫は仕事をしない。ただの野良猫が家の中で安穏と暮らしているだけ!!
土曜に起床後、由布院の宿のチェックインにはまだ間があるので妹は子供たちを志高湖に連れていき、上の三人は父と姉の運転でドライブに行く。二番目の姉も運転を練習している。この家でペーパードライバーのままなのはついにアタイだけ…。
由布院をいったん通りすぎ、九重連山の入り口である長者原という高原へ。別府よりもかなり気温が低く紅葉はすでにピークを迎えており、登山好きの長姉は山を眺めて登りたそうにしている。長者原には一面のススキがそよいでいた。
この辺にも子供のころはよく父に連れられて来たはずなのだが、車で連れまわされているだけだと土地勘はまったく育たないものである。高原ソフトクリームを買ってもらうとかならず吐く子供を、よくあんなにドライブに連れ出してくれたものだ。
家に戻り、由布院に向けて再出発する。泊まったのは金鱗湖のほとりにある「亀の井別荘」という宿。由布院の中でも由緒ある宿で、別府を一大観光地にした油屋熊八という実業家が特別なお客を招くために建てたところ。実際に草庵を任された中谷巳次郎は加賀の庄屋の生まれだったが、趣味人が過ぎて財産を使い果たし、流れ着いた別府で熊八と出会ったそうです。趣味が身を滅ぼし、趣味が身を助ける。ちなみに中谷巳次郎は雪の研究者・中谷宇吉郎の叔父にあたり、宇吉郎は「由布院行」という随筆も書いている。
まだ深閑としていたころの由布院の風情が偲ばれる。いまは車を寄せるのも大変なほど観光客がひしめき、表通りには謎のキャラクターグッズのお店が並んでいます。
しかし旅館の広大な敷地はうそみたいに静かで、外の世界と隔絶されていた。単に広いからというだけでなく、由布岳の借景も含めて計算し尽くされている様子。さすが趣味で身代を潰して興した人間のすることはスケールがでかい。宿泊のお値段もまあ大変なことに。ふだんはがつがつ観光するため宿にはお金をかけない人たちなので、いろいろと別世界で新鮮だった。
我々がため息をつきながら受付をすませ、出されたおはぎを食べていると建築オタクの母が調度品を眺め「…これは清朝の壺やな」。その後も入念なしつらえチェックは続き、最終的に「アンタらにはこの違いがわからんかのう」と言っていた。これは母としては最大級の賛辞。賛辞なのに怒られが発生しとる。
文豪向けスペースを発見したので、ゲラを読む(ふりをする)などした。
ふたつの離れに分かれて泊まったのだが、それぞれが広大すぎたので9人全員がひと棟に泊まれた気がする。しかし間取りが贅沢すぎてそうならないのが老舗旅館。
粋が過ぎて、ポットやコンセントなど生活感のあるものがすべて見えないところに隠されており、まあまあ探した。スマホのケーブルを挿したはずがコンセントから抜けているという怪現象もたびたび起き、「粋人の呪いでは?」と話す。たしかに巳次郎はコンセントの存在を許せなさそう。
茶化してばかりいますが、ほかの宿泊客とほとんど顔を合わせない凝った造り、お庭のみっしりした苔や大きく育った樹木の時間の経過を感じさせる美しさ、さりげなく飾られたアフリカの仮面など、とにかく美意識が高いお宿だった。写真には写りづらい厚みがあった。
お庭で一同で記念写真を撮ったが、甥っこ姪っこたちはまだ写真をありがたがる歳ではないため大暴れしていた。家族旅行や記念写真、子供のときはまったくありがたみがわからんよな…。
お夕食に用意してもらった広間で、星飛雄馬のクリスマス会みたいな写真を撮られて爆笑する文豪。
夜は同じ敷地内のバーに一杯飲みに行き、翌朝ちょっとだけ由布院を散策して地元のお酒などを買って帰った。甥姪たちは解散間際にやっと心を許してくれた感があったが、次に会うときはまた初期値に戻っているのだろう。
由布院は実家から近すぎて、よく遊びには行くが泊まるのははじめてだ。金鱗湖に流れこむ小川で川魚をすくってきて飼ったり、夜ホタルを見に行ったりした思い出がある。亀の井別荘と同じ敷地にある土産物屋は、むかしはアジアや中東の古い雑貨を扱っていて、子供心にわくわくする場所だった。
懐かしくも新鮮な気持ちになる家族旅行でした。父は「毎年来ようか!ウフフ」と言っていたが、来年はグアテマラ探鳥旅行ですよお父さん。
野菜直売所でいけるという強い気持ち
先週末はマメコ商会といっしょに、京都で「いきもにあ」に出展していました。
事前の話では「試着ができないから服はフリーサイズのボトムスやバッグが中心でそんなに量は多くない」という感じだったような気がするが、実際に広げてみるとなかなかの量がある。結局、見かねた周囲からの申し出によりハンガーラックをお借りするという大罪を犯す。しかしながら、最近はマメコ商会のブースもそこそこちゃんとしてきていたのもあって、初期のディグる感じは懐かしくもあった。
体裁の部分はたしかに整えたほうがよくて、単価を上げることにも直結するのだけれど、売る側として「野菜直売所方式でもいける」と思えているのはそれなりに強い気がする。わたしにもイベントを開催するとき、正直いって似たような感覚がある。
過去の経験から「関西(というか東京以外)のイベントでは服が売れない」とわたしたちは思っていたが、今回は好調だった。いきもにあがイベントとしてどんどん成熟しているから、というのもあるでしょうね。
ブースに座って「売れるのって楽しいね」「売れてると眠くないし疲れない」「芸能人が売れたいと思うのも、虚栄心とかではなくこういう気持ちなのかも」「もっと売れたいね」「売れてぇ〜」という話をする。
いきもにあで購入したものたち。「deer bone hai」さんの鹿の骨でできたメデューサのブローチが美しくて不穏で、たいそうお気に入り。
昔アール・ヌーヴォーのジュエリーの図録を読んでいたら、ヤマタノオロチのような宝石をちりばめた海竜の首飾りに「淑女が海の怪物ケートスのモチーフを身につけることには、勇者ペルセウス募集中の意味があった」というキャプションが付されていた。首飾りはめちゃくちゃかっこいいのにしょうもないな……と思ったのだが、そうだとすればメデューサの首を身につけることには「みずから勇者となって怪物を倒す!」という意味があるはずである(ペルセウスは鏡の盾でメデューサを倒したあと、海竜ケートスをメデューサの首で石化する)。
いきもにあ初日はマメコのお友達のみなさんとおばんざいを食べ、イベント終了後は大阪に向かってワクサカソウヘイさんと合流し、夜の3時まで飲んだ。よく売り、食べ、笑って、しみじみと楽しい週末でした。
帰ってきてからはずっと原稿を直していた。初稿は気持ちのぶれが大きくて読みにくいところが多々あったので、2稿にするのにも時間がかかったが、だいぶまとまってきたと思う。何人かに読んでもらい、感想も聞けたのですこし肩の荷が下りた気持ち。やはり書くことが解毒に繋がっていたと思う。
順調にいけば、11/11(土)の文学フリマ東京が初売りになります。タイトルは『奇貨』です。
原稿も仕事も忙しかったが、九谷焼の上絵付の講習にも行った。12月からは月一回で通いはじめる予定。
今回は体験講座なので、先生の呉須の骨描きの上に絵具をのせるだけ。ガラス質の粉末は焼成すると色が変わる。はやく骨描きを練習したい。磁器を教えているところは少ないみたいだけど、器づくりの教室にも行きたい。
ちょっと頭が飽和したので、今週末は2稿をなんとか上げたあと、休日出勤の予定をやめて東京国立博物館の「やまと絵」展に行ってきた。伴大納言絵巻に信貴山縁起絵巻、鳥獣戯画と百鬼夜行絵巻もあるという豪華さだったが、豪華すぎて人の列が微動だにせず、あまり見た気がしなかった。絵巻物、大勢で見るのにあまりにも不向き。貴族になってゆっくり見たい……。さまざまな料紙を繋げた古今和歌集や金箔で豪華に加飾された平家納経など、紙の本の装丁や書が好きな人なら堪らないだろうなという感じはあった。
佳境
長かった体調不良が明けるとともにめきめきと活動的になってきて、しかし不調が長すぎた間に溜まっていたやるべきことが押し寄せ、ブログも書けなかった。具体的には旧居の売却をすませ、文学フリマにあわせて書いている原稿は今まさに佳境だし、中国出張のビザ申請をしたらパスポートがメケメケしている(5年前に誤って洗濯したため)という理由で弾かれて大慌てで出張日程を変更しパスポートを再申請するところからの再クエストで慌ててる間にビザ制限自体が緩和されそうな勢い、新居の不動産取得税も軽減申請して、その合間に食器棚の天板にタイルを貼ろうと思って注文したら4シートのつもりが4ケース来ちゃうし、今週末はいきもにあだしでもう大変。
食器棚は夢のようにかわいくなった。天才かもしれない、玄関には誤発注のタイルが箱で積んであるけど。メルカリデビュー待ったなしだ。
机を作っては天板の表裏を間違え、壁を塗っては引き戸の裏を塗り忘れ、タイルを貼っては誤発注をする。すず工務店だったら3回つぶれているところである。趣味でほんとうによかった。
にわかに丁寧な暮らしに目覚め、お弁当を作るかたわら鉄瓶で白湯を沸かしている。白湯はまろやかでおいしい。おいしいような気がする。常に味覚に自信がなく「水道水と白湯でブラインドテストされたらわかるだろうか」と自問してしまうのだが、たぶん…わかると思う…。
すべて執筆からの逃避行動でもあるが、生活が楽しいという感覚が手元に戻ってきた気がする。
「人は立ち直らないままの人をなかなか許さないんです」という言葉を下記のインタビュー記事で読んで、最近ずっとそのことについて考えている。
「病気のおかげで」は本当? 「立ち直りの物語」を求める心理の正体:朝日新聞デジタル
文章を書いていると、手は惰性で立ち直りの構文に近づいていく。オチをつけたいという誘惑。実際書くこともふくめていろいろと足掻いて、実際取り戻してきたんだからそれはいいだろうと思う一方で、これだけきつい思いをして書くのに結局読み手に迎合して安直に走るのでは意味がないし、底にいたときの自分への裏切りなんじゃないかと感じている。自分だけは、あのくちゃくちゃになったときの自分を忘れずにいてやりたい。