沙東すず

以前はメレ山メレ子という名前で「メレンゲが腐るほど恋したい」というブログを書いていました

深夜タクシーの柿

金曜の夜から土曜の昼にかけて、『奇貨』増刷分の発送作業をする。大量発送にはだいぶ慣れたし、梱包も要領がわかってきた。もう四六判の本を入れるためにB6のOPP袋を買ったりしない(かわりにB5のOPP袋に入れると空気を入れないように2回折る必要があり、そろそろパッケージプラザに行くべきなのだがその時間がない)。

たとえば発送アプリで「注文を選択してQRを生成する」とか、発送後は「注文を選択して発送通知を送信する」などのデジタル単純作業×200冊分がちょこちょこ発生するのが、達成感のない繰り返しとなる。ああ、CSVとかでコピペして取り込みたい…マクロとか使って自動化したい…と思うが、それがしたいならB2クラウドとかの法人・個人事業主向けプランでやるべきなのだ。「年に数回、200冊を一気に発送する」みたいな業態は、個人向けと法人向けの谷間に存在する。B2クラウドとプリンタとラベルシールがあればかなり作業が楽になるだろうけれど、今の頻度では微妙なところ。

とりあえずあとは営業所に持ちこむだけという状態になり、夕方からお友達のお誕生日会に向かう。レストランで開催されているのでどの時間に来て帰ってもいいですよ、という最高なやつ。

オフショルダーのドレスを着て強火のメイクをしたお友達は発光していた。最初は初対面の人ばかりでモジモジしていたが、気を取り直して名刺を配りまわり、SNSでフォローしたりした。途中で共通の友人が来て勢いづく。すっかりリラックスして楽しく駄弁っていたら、夜中の2時になった。お店の関係者の人たちは仕事を切り上げて隣のテーブルでワインを飲んでいたが、そのあともさらに仲間が来て飲み明かすという。最高の店だな…。

すっかり冬の空気の中、わたしはカラオケかネットカフェで始発まで時間をつぶそうと思っていたが、共通の友人が「え、タクシーに乗ろうと思ってた」と調べはじめる。おたがいの家まではどちらもかなり高額になるし、ルートは1ミリもかぶらない。「お金持ちやな〜、ではわたしはここで…」と言うと「自分がタクシーに乗るのにすずやんをネットカフェに行かせるのは…なんか違う気がする!じゃあもうすずやんの住む街までタクシーで行こう、お金はちょっとだけ出してくれればいい!」と説得される。こちとらネットカフェが好きすぎてネットカフェでバイトしていたことがあるくらいなので気にしなくていいのだが、要するにしゃべり足りないらしく、わたしもその気持ちはわかった。

駅前のロータリーにやってきた深夜タクシーに乗りこむと、後部座席につやつやの柿がひとつ転がっていた。

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「柿!柿が乗ってます!」と初老の運転手さんに言うと、「柿?!気づかなかったな〜。よかったらもらってください」と返ってきた。こんなものがあって気づかないことあるんだ。コート姿では暑いくらいなタクシーの中でも、両手でつつんだ柿はひんやり冷たい。パーティーの余韻と眠気で浮かれた我々には、深夜タクシーと柿の取り合わせがなにかの啓示みたいに思えて愉快だった。奇果、柿、奇貨、と語呂合わせが脳裏を転がる。たぬきの忘れ物だろうか。運転手さんも実はたぬきかもしれない、これはたぬきタクシーだ。

タクシーには一時間くらい乗っていた。深夜タクシーから見る夜の街は、雨宮まみさんが書いた「東京」そのものに見え、自然と雨宮さんの本や、そんなに多くはない思い出について話した。

たぬきタクシーはそのまま高尾山に向かったりとかはなくすんなり我が家に到着し、友人は棺桶部屋で仮眠してから帰っていった。

わたしも二度寝して目覚めると、ツイッターに投稿した柿に「横の人は…?」とリプライがついていたのでブロックした。たまにごはんの写真などに「一人じゃないんですね」とドヤ顔で指摘してくる人がいるが、あれはまあまあ不愉快なものだ。わたしに「タクシーの柿おもしれ〜」と盛り上がれる友人がいたらいかんのか?

営業所に行って発送作業をするが、ブラックフライデーとお歳暮と東名の道路工事などの影響で遅配が発生しており、忙しない雰囲気。前回の大量発送でスタッフさんたちにお世話になり、今回は「あ、マンドラゴラの人だ!」と言われてさらに手際よく処理してくれたのでさらに「好き…」となる。そこにやってきて「午前指定した荷物がまだ届かない」「◯日に届かないと意味がない、どうにかならないのか」と窓口で無駄に粘って仕事を増やす人たちには内心辟易する。

夕ごはんを食べて家に帰り、三度寝してから起き上がって家事をする。夜更けにあの柿を食べてみたが、まだ硬くてあまり甘くなかった。

『奇貨』感想まとめ/増刷分を販売中です

『奇貨』の通販第一弾を受け取った方々がいろんな感想をネットに書いてくれて、台湾に出張しつつ貪るように読んでいたら一週間が終わりました。

寄稿のおしらせ

出張中だったのもあってSNSでしか告知できていなかったのですが、新居のカスタマイズを楽しむ様子をSUUMO「マンションと暮らせば」に寄稿しています↓
suumo.jp

『奇貨』感想まとめ

以下は『奇貨』にいただいた感想です(勝手に要約&抜粋)

  • 読んで悪夢に魘されました。クローズドになっているからこそ起こりうる恋愛関係の心的外傷が丁寧にすくい出されて描かれていました。あとがきの「不幸はずっと見ていたくなる色をしている」には闇の深さに恐れつつも共感。
  • アルコールを入れた勢いで読んだ
  • 前書きで泣いたのは初めてです
  • 「悲しいことを書くのは単純作業に似ていて」という一文があり、「本物の表現とはやはり違う」と続くのだけれど、黙々と運針をするように、そうじをするように、単純作業こそが人を生き延びさせる側面もあるように思った。
  • めちゃくちゃ面白くて一気に読みました。著者への賛辞として「面白かった」が最高に合ってると思った
  • マウスポチポチクリックして金出しただけなのに、影から絞った油と目から出た血を混ぜたインクで書かれたような文章を読んでしまっていいのか?!?!?!?!
  • 文章として形にしてくれたことで、それを読んだ人の過去を少しだけ肯定してくれる
  • 本当に表現がストレート、鋭利で、正直な苦しみが表現されていて感嘆しました。過去の色々な自分の黒歴史なども呼び起こされたり、恋愛によらず共感することも多かった…。
  • 私も若い頃何度も失恋したので著者の痛みはよくわかる。が、著者の相手を追い詰めたいと思うほどの恨みはストーキングに近くなっていく。同時にそんな自らの傷を開いて中を覗き見るような筆致は、もはや文学。
  • 前半刺身包丁抉られるような痛みを感じながらボロボロ泣きすぎて、読み進める事が出来なくて、章ごとに日を分けて読みました。
  • ワイプの小窓から「ひぇぇーい!」って言いながら先の尖った長い棒でバレないように突きてぇ〜〜!!
  • 僕は非道な人間なので、アーティストたらんとすることのみっともなさを何となく理解できてしまうというか、ああなるほどこういう美意識を当人が意図していて、それが舞台裏を知る他人からこうみっともなく見えるということがあるのかというあたりを面白く読んだ。
  • 文フリに行った友達が「早く読んで!」と送ってきた沙東すずさんの『奇貨』読了。自分が立つためになんでもするすずさんは本当にかっこいい。かっこいい本。
  • 読後感がすごくて、20年前にひどい裏切られ方をしたあれこれがフラッシュバックして涙が出てきた。
  • 「傷ついたときはまず心から傷ついたことを知ってほしい」という言葉に、本当に、本当にそうだなと思う。意味とか、克服とか、癒しとか、そういうことじゃない。傷ついたんだということを知ってほしい。その気持ちが、鋭敏な言葉選びによってヒリヒリと、ビリビリと、伝わってくる。
  • 例えば、相手に殴られてへこんだ自分の身体を見せながら「ここが窪んでいるのはね、あなたの指がここをえぐったからで、ここが切れているのはね、その爪がここをかすったからで…」みたいに、丁寧に克明に痛みを書き切っていて清々しさすら感じました。フレッシュ。
  • 読み進めるうち両肺に重い霧が充填されていくような息苦しさ。濾過すまい、その前に記す、という気持ちが伝わる。
  • どす黒い過去があればあるほど感情移入して、あのとき私は、相手はどんな心理だったのだろうかと脳内検討会が始まるとんでもない本だ。
  • マンドラゴラの表紙いいね。聞いた者をも殺す悲鳴だ。
  • 半分くらい読んだところで段々動悸がし始めた
  • 70ページが『カイジ』だった
  • 「熊の場所」の展開がめちゃめちゃバクバクした。勇気がすごい。ボロボロになりながら自供を引き出すところもすごいし偉い。
  • 特級呪物との噂にびびって、少しづつしか読めないんじゃないかと思っていたら、一気読みしてしもた。 傷だらけでなお一歩も引かない闘いっぷり。読み終わって何となく猫を撫でに行った。よしよし、よしよし。
  • 大きな傷は見た目は治ったとしても後遺症は残る。心も同じ。深い傷と症例を見せていただきました。心から大好きだった気持ちが伝わってきました。信じていたものが崩れ去る時の、血の気が引く瞬間。そして見ないようにしていた違和感のピースがハマっていってしまう絶望。ぐうつらい!
  • 面白がって冷笑する人、口を塞いでくる人、友達に距離を置かれる描写は辛くて毎回泣く
  • 感情を爆発させ、自分の物語を再構築していくところは、昔の自分に対して赦しが得られるようで、嬉しくて涙が出た。
  • 新しい文章が読めるのは嬉しいけど、これは喜んでいいことなのか、しかし文章が好きだ! という気持ちでごちゃごちゃになり、最後に「立ち直りの物語」が明確に拒絶されて痺れた。
  • 「心底どうでもいい。」のところが響いた(複数)
  • 「バカのバタフライ効果」にウケた(複数)
  • 自分がされたことを思い出した(多数)
  • 自分がしてきたことを思い出した(多数)
  • 自分の内面と向き合うことで他人の内面も曝しだす手順が書いてあった。私自身は、この中の「おそるおそるツイートにいいね」した登場人物だった。その時イイネしたツイートは、腹と頭に巻いたサラシにダイナマイト仕込んだ人みたいな言葉だと思った。ここには人が人に寄せる思いの変遷がある。心変わりや軽薄さを自己愛の物語化しようとする欺瞞を、サラシ腹巻ダイナマイトの言葉がそれを吹っ飛ばして不恰好な事実を剥き出しにしていく。どっちに力があるかなんて言うまでもない。この本はたくさんのひとを打ちのめしながら力を与えるんだろうな。


あと、封筒に描いたマンドラゴラちゃんを切り抜いてしおりにしてくれた方が多数。とても嬉しいです。たくさん描いたので若干こなれてきたよね。

増刷分の注文・発送について

satosuzu.base.shop
増刷分が無事納品されましたので、今までご注文をいただいた分について順次発送を進めています。12/2(土)までに注文いただいたものは12/3(日)に発送完了予定です。
83s.shop
「はちみせ」さんでも現在SOLD表示ですが、在庫を補充します。あと2千円で送料無料なのになー!という時などに。

扱ってくださるお店・書店さんがありましたら、mereyamamereco@gmail.comまでご連絡ください。送料はこちらで負担いたします。


自分が書いたものを自分以上に重く受けとめてくれる感想を読みながら、思い出していたのは「ものを書く人間は、みんな嘘つきです。」という言葉だった。

わたしだけに見えたわたしだけに都合のいい話を書き殴り、人目に晒して知らないだれかの共感を買うために整えるなかで自分にも見えないくらいこまかい嘘をつき、書き終えた頃にはすべてを忘れてどうでも良くなっているのが、わたしにとって最高の結果だと思う。
(『奇貨』まえがきより)

まえがきにこれを書いたときから、この言葉がずっと心を離れなかった。亡くなった雨宮まみさんが『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』の書評によせた冒頭の一文だった。
spur.hpplus.jp
わたしが書いたものを読んだとしたら雨宮さんなんて言っただろうな、と考えていた。なんか不謹慎なジョークを飛ばしてくれただろうか、と想像しているところに、雨宮さんの連載『40歳がくる!』が7年ぶりに刊行されるというニュースが流れてきた。
amamiyamami.hp.peraichi.com
ぼろぼろの状態で春に40歳を迎えて、自分なりにけりをつけたあとにこの本を手に取れることは、個人的にはとても嬉しい。正座の心持ちで読みます。

『奇貨』通販を再開しました

増刷の目処が立ちましたので在庫を復活しています↓
奇貨 | 沙東すず

これまでの通販分には11/19(日)に発送完了済みです。不備や不着などありましたら、メールにてご連絡ください。
現在ご注文を受けている増刷分は11/29(水)納品→12/3(日)発送予定です(印刷トラブルなどで遅れる場合、その旨ご連絡いたします)。

発送作業の中でなんとなく爆誕したマンドラゴラちゃんです。ヤマトのスタッフさんにもほめられたのでキャラクター化しようかな。

文学フリマ東京/製麺会/『奇貨』通販について

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文学フリマ東京は無事に終了しました。来場いただいたみなさま、ありがとうございます。

『奇貨』は会場への直接搬入だったので、箱を開けて刷り上がりを見たときは心底ほっとした。マンドラゴラはわたしの悲鳴のモチーフです。自分そのものだった悲鳴はあげたそばから自分を離れ、受け取った人のものになっていく。

友人には『奇貨』ではなく「呪物」だの「黒い元気玉」だのと呼ばれています。おおげさなしかめっ面で来て「やだなあ…やだなあ…感想はたぶん言いません!」と言いながら買っていった友人もいた。面白がっているのも複雑な気持ちなのも、どちらも本当なのだろう。

ほんとに面白半分でいい。むしろ面白がってほしい。そう思えるようになった今、わたし以上に感情移入してつらさをこらえながら読んでくれる人もいて申し訳ない気持ちになるが、まさに「お前が言うな」である。

文学フリマはブース隣接申請ができるので、夏に声をかけてくれたワクサカソウヘイさんのおかげで藤岡みなみさん、宮田珠己さんらの豪華な島に並ばせてもらった。特に藤岡みなみさんのブースは人だかりが途切れず、その向こうで同じく猛然とZINE『園芸グランドスラム』を売っているはずのワクサカさんがほとんど見えないほどだった。お隣の宮田さんとそれを眺めながら「あれくらい売りたいっすねえ」「いいねえ」と話していたのだが、宮田さんもぼやき上手なだけで途切れずにやってくるファンのお相手をしているのだった。

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開場前と閉場間際に走りまわって、それぞれ10分くらいで買った本たち。

閉場後、ワクサカアイランドの有志と飲みに行く。お誕生日会や忘年会など、さらに楽しみな予定や計画がいくつか持ち上がる。あっという間の一日。

 

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翌日の日曜は製麺会。ちょっと前の飲み会で玉置標本さんに「うちで製麺してみろや」と絡んだところ、本当に製麺機と麺生地と朝から煮込んだスープ等々を担いできてくれた。言ってみてよかった!さすが50台の製麺機を持つ男。


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沖縄そば、めちゃくちゃおいしいし作ってる最中もすごく盛り上がる。正直いってちょっと製麺機が欲しくなった。うちのインテリアにも合うし…。

玉置さんご自身の記事はこちら↓

www.seimen.club

しめ鯖や燻製や落花生やハイボールを携えて集まってくれた友達にも『奇貨』を渡す。もう修復が難しそうな人間関係もあるけれど、あの爆発物取扱注意だった期間を越えて見放さずにいてくれている人にはほんとうにありがたいなと思う。

 

『奇貨』のことでいろいろ動いているうちに、もっとたくさんの人に読ませたい気持ちが湧いてくる。読んでくれた人から感想をもらって調子に乗っているのもあるが、こんなに切実な気持ちで書いたものはこれまでになく、書いてしまったからにはやはり読まれたいのである。

基本的にはいま読んでくれているのはSNSで荒れてたときのわたしを見て心を痛めてくれていた人たちなので感想も温かい。もうひとつ円が拡がれば、もっと容赦なく面倒くさい反応もあるだろう。それでも「もっと読まれたいか?」と訊かれたらイエスしかない。力が…欲しいか…?欲しいです!

そう考えているうちにみずから動く必要を感じ、予定している委託通販とは別に、急遽BASEでショップを作った。最近は匿名発送などの手段も充実しているらしい。必要なのは、自分で発送作業をなんとかする覚悟だけ。

satosuzu.base.shop

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通販のおまけとして、表紙に使われているのと同じマンドラゴラ図のポストカードをdubheさんにご用意いただけることになった。目にも止まらぬ速さで印刷の対応をしてくださいました(文フリで本体のみ購入された方は、よかったらdubheさんのショップもごらんください)。

朝から告知したところ、順調にオーダーをいただきまして現在SOLD OUTになっています。読んでくれる人がいる限り、増刷もすみやかに対応します。Kindle Direct Publishingでの電子化もやってみようと思っている。

四年ぶりの出張、そして文学フリマ

もともと2020年の四月に上海から日本に帰任することになっていたのだが、その準備もかねて春節に日本に帰ったところ、コロナ禍がはじまって今度は中国に戻れなくなった。他の出向者が業務を回すために上海に戻っていく一方で、帰任間近のわたしはそのまま本社にとどまることになり、結局中国で一緒に働いていた人たちにあいさつもできないまま、引っ越しさえもリモートで済ませることになったのだった。

帰任後も海外出張は(とくにわたしの部門は)しづらい状況になり、しばらくお預けに…という状態が四年も続いてしまったが、今週ついに一週間出張してきた。二年半を過ごしたオフィスで、同僚たちがとてもあたたかく迎えてくれた。

忙しなくて充実した時間だったが、いよいよ最後の報告会を終えて明日は帰国するという夜だけは、なぜか動悸がして眠れなかった。

駐在して特に悩みが多かったころ、体に起きていた症状。横たわっていると心臓が喉のほうまで上がってくるように大きく響いて、つい呼吸が浅くなってしまう。

思えば当時、恋人になる前の彼がなんとなく気になる存在になり、一気に惹かれあい、旅先でつきあいはじめる前もよく起きていた症状。またこの春、いきなり裏切られたあとも。

当時感じていた重圧、そしてそのあとはじまったコロナ禍の先が見えない暗さに支えられていた関係だったのだな、と、謎のリズムで跳ねる心臓を抱えて思った。

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リモート引っ越しでこの形状のためか業者さんに運んでもらえず、現地オフィスで預かってもらって、四年越しで新居にやってきたライトスタンド。上海の旧市街にあった雑貨屋で買ったもの。

 

明日(今日)の文フリで新刊『奇貨』を販売します。各方面に大丈夫なのかと思われている気がしますが、『奇貨』のゲラを裏紙にして、めくるたびに「怖えこと書いてあるなあ…」とひとごとのように思うくらい元気です。人にはおすすめできないが、そういう乗り越え方もある。

自分から見た現実を自分の中で捉え直して書きつづる作業は非常につらいものだったが、ゲラになった瞬間、起きたことがひとつ遠い次元に遠ざかっていった。編集者の田中さんに鉛筆を入れてもらい、デザイナーの畑さんに整えていただいた装丁にテキストが載った時点でスイッチが切り替わった。関わってくれた方にとっても実際やりにくい仕事だったと思うけれど、人となにかを作ることにはそういう作用がある。

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11/11(土)に流通センターで開催される文学フリマ、【G-28 沙東すず】でお待ちしています。後日、通販についてもお知らせします。会場ではじめて現物を見るため、関係者への献本については文フリ後となりますがご容赦ください。面白いです。

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【G-23】ワクサカソウヘイさんのブースで販売される『園芸グランドスラム』にも、マンドラゴラをテーマにした奇譚「絶叫草」を寄稿しています。面白いです。

さらに食虫植物愛好家の木谷美咲さん、ワクサカソウヘイさんとの、恋の終わりについての鼎談も掲載されています。最後は中年が創作においてどう「飽き」と向き合うか?という議論になっていく。面白いです。

 

新刊『奇貨』について

『奇貨』という新作を出します。

『奇貨』書影

『奇貨』沙東すず
装丁:畑ユリエ
表紙協力:dubhe
編集協力:田中祥子

今年の3月、恋人に突然の別れを切り出されました。その数日後には元恋人が新しく好きになった女性と旅行に行くことが偶然わかり、苦しみながらも経緯を知ろうとしたり、やりとりがどんどん泥沼化していったり、Twitterで荒れたり、周囲との人間関係も悪化する一方で力になってくれる人もいたり…という半年強の記録です。
2021年に出した『こいわずらわしい』の続編ともいえる内容なので、あわせて読むとより楽しめると思います。三年経つとハートがマンドラゴラに…。

書くことで吐き出して元気になりたい、そのためならなんでもする、というのがわたしの願いで、実際にそれは果たされたと思います。元気になることを他人から強要され傷つく場面も出てきますし、書いている最中は別に綺麗に終わらせる気はありませんでした。書きながら「これが人に読ませられる話になるためにはわたしが元気になるという"展開"が必要だな」と自然に感じ、それがいい方に心に作用したのだと思う。その結果、ただ暗いだけの話ではなくなったはずです。

書いた動機や内容についてもっと説明しようかとも考えましたが、事前に読んでくれた方々のアドバイスも受け、まえがきと1章を試し読みとして公開することにしました。






初売りは一週間後の11/11(土)文学フリマ(東京流通センター)、ブースは「G28 沙東すず」です。
c.bunfree.net
イベント後には通販なども行う予定です。お手に取ってみてください。

おもバザ・文フリ出展のお知らせ/由布院行

イベント出展のおしらせ

11月は同人誌即売会にふたつ出展します。

① おもしろ同人誌バザール 11/3(金祝)@ベルサール神保町・ベルサール神保町アネックス

​11:00~16:00 入場料 1000円

ブース名:「も-26 沙東すず」

『昆虫大学シラバス』黎明編・乱世編を持っていきます。

また、文フリ用の新刊『奇貨』についても、試し読み冊子を準備しようと思います(配布できるかはまだ不明ですが、立ち読みは可能とする予定です)。

hanmoto1.wixsite.com

②文学フリマ東京37 11/11(土)@東京流通センター

12:00〜17:00 入場無料

ブース名:「G-28 沙東すず」

文学フリマでは新刊のエッセイ『奇貨』を初売りします。同じ島のワクサカソウヘイさんのブースで販売されるZINEにも寄稿しています。
『奇貨』の内容および寄稿についてはあらためて紹介記事を書く予定です。
むりやり読ませた人たちには「面白い…と感想を言ってしまっていいのかな?」と言われがちなのですが、渾身の内容になりました。わたしのこれまでに書いたものの中でいちばん好き、あるいはいちばん嫌いという人が多いと思う。ぜひおたちよりください。

bunfree.net

 

由布院行

10月下旬、実家のある別府に帰省した。両親の金婚式をやろうというので、ひさしぶりに父と母、そして四人の娘と、末の妹の三人の子供たちが集結することになったのである。

沙東家は記念日やセレモニーのたぐいにかなり無頓着なファミリーなのだが、父も80歳を迎え、両親の結婚50年という節目の年なのでお祝いしよう。せっかくなら別府から山を越えたところにある由布院温泉の旅館に一泊しよう、と、おもに長姉の提案で話が進んだのでした。

金曜の夜に実家に着いて一泊したが、家に4匹いるはずの猫たちは怯えあがって隠れてしまい、ほとんど姿を見ることがなかった。昔はこの家にも甘えてくる猫がいたのだが、あまりにも観測不可能なのでわたしにはもう顔と名前が覚えられない。この家の猫は仕事をしない。ただの野良猫が家の中で安穏と暮らしているだけ!!

 

土曜に起床後、由布院の宿のチェックインにはまだ間があるので妹は子供たちを志高湖に連れていき、上の三人は父と姉の運転でドライブに行く。二番目の姉も運転を練習している。この家でペーパードライバーのままなのはついにアタイだけ…。

由布院をいったん通りすぎ、九重連山の入り口である長者原という高原へ。別府よりもかなり気温が低く紅葉はすでにピークを迎えており、登山好きの長姉は山を眺めて登りたそうにしている。長者原には一面のススキがそよいでいた。

この辺にも子供のころはよく父に連れられて来たはずなのだが、車で連れまわされているだけだと土地勘はまったく育たないものである。高原ソフトクリームを買ってもらうとかならず吐く子供を、よくあんなにドライブに連れ出してくれたものだ。

家に戻り、由布院に向けて再出発する。泊まったのは金鱗湖のほとりにある「亀の井別荘」という宿。由布院の中でも由緒ある宿で、別府を一大観光地にした油屋熊八という実業家が特別なお客を招くために建てたところ。実際に草庵を任された中谷巳次郎は加賀の庄屋の生まれだったが、趣味人が過ぎて財産を使い果たし、流れ着いた別府で熊八と出会ったそうです。趣味が身を滅ぼし、趣味が身を助ける。ちなみに中谷巳次郎は雪の研究者・中谷宇吉郎の叔父にあたり、宇吉郎は「由布院行」という随筆も書いている。

www.aozora.gr.jp

まだ深閑としていたころの由布院の風情が偲ばれる。いまは車を寄せるのも大変なほど観光客がひしめき、表通りには謎のキャラクターグッズのお店が並んでいます。

しかし旅館の広大な敷地はうそみたいに静かで、外の世界と隔絶されていた。単に広いからというだけでなく、由布岳の借景も含めて計算し尽くされている様子。さすが趣味で身代を潰して興した人間のすることはスケールがでかい。宿泊のお値段もまあ大変なことに。ふだんはがつがつ観光するため宿にはお金をかけない人たちなので、いろいろと別世界で新鮮だった。

我々がため息をつきながら受付をすませ、出されたおはぎを食べていると建築オタクの母が調度品を眺め「…これは清朝の壺やな」。その後も入念なしつらえチェックは続き、最終的に「アンタらにはこの違いがわからんかのう」と言っていた。これは母としては最大級の賛辞。賛辞なのに怒られが発生しとる。

文豪向けスペースを発見したので、ゲラを読む(ふりをする)などした。

ふたつの離れに分かれて泊まったのだが、それぞれが広大すぎたので9人全員がひと棟に泊まれた気がする。しかし間取りが贅沢すぎてそうならないのが老舗旅館。

粋が過ぎて、ポットやコンセントなど生活感のあるものがすべて見えないところに隠されており、まあまあ探した。スマホのケーブルを挿したはずがコンセントから抜けているという怪現象もたびたび起き、「粋人の呪いでは?」と話す。たしかに巳次郎はコンセントの存在を許せなさそう。

茶化してばかりいますが、ほかの宿泊客とほとんど顔を合わせない凝った造り、お庭のみっしりした苔や大きく育った樹木の時間の経過を感じさせる美しさ、さりげなく飾られたアフリカの仮面など、とにかく美意識が高いお宿だった。写真には写りづらい厚みがあった。

お庭で一同で記念写真を撮ったが、甥っこ姪っこたちはまだ写真をありがたがる歳ではないため大暴れしていた。家族旅行や記念写真、子供のときはまったくありがたみがわからんよな…。

お夕食に用意してもらった広間で、星飛雄馬のクリスマス会みたいな写真を撮られて爆笑する文豪。

夜は同じ敷地内のバーに一杯飲みに行き、翌朝ちょっとだけ由布院を散策して地元のお酒などを買って帰った。甥姪たちは解散間際にやっと心を許してくれた感があったが、次に会うときはまた初期値に戻っているのだろう。

由布院は実家から近すぎて、よく遊びには行くが泊まるのははじめてだ。金鱗湖に流れこむ小川で川魚をすくってきて飼ったり、夜ホタルを見に行ったりした思い出がある。亀の井別荘と同じ敷地にある土産物屋は、むかしはアジアや中東の古い雑貨を扱っていて、子供心にわくわくする場所だった。

懐かしくも新鮮な気持ちになる家族旅行でした。父は「毎年来ようか!ウフフ」と言っていたが、来年はグアテマラ探鳥旅行ですよお父さん。