沙東すず

以前はメレ山メレ子という名前で「メレンゲが腐るほど恋したい」というブログを書いていました

日記

『十二神将変』っていうタイトルの小説冒頭で男が死んで、その鞄に十二神将像のひとつが入っていたら、あと十一人が次々と死んでいく展開を期待してもバチは当たらないのではなかろうか。そういう次になにが起こるかへの期待で読ませるエンタメにどっぷり浸かった脳だから、かしこい小説を読めないのだろうか、かしこい小説を読むことが目的化してる時点でかしこさとは程遠いのだが、そもそもエンタメに徹した小説だって大概かしこい人が死力を尽くして書いているのに、わたしときたら変な間取り図も複雑なトリックもほぼ理解することなく読み流し、登場人物がひとりずつ死んでいくおどろおどろしい雰囲気を漫然と楽しんでいるだけで……おまえ(=わたし)は本当に度し難い……最低の読者……と考えながら、今日も会社に行く。
周囲の人は今のところ新型コロナには罹っていないが会社全体での報告件数は増えていて、輪がじりじりと迫ってくるような気持ち。
最近は友人と会っても、話題はいなくなった人たちのことばかりになる。だんだん連絡が取れなくなってあちらから去っていった人もいるし、もはや会いたくない人も。一部の知人からすれば、わたしもいなくなった人、変わってしまった人の扱いになるのだろう。「もうこんな年寄りみたいな話するようになるんだね」「新しい人間関係作っていくしかないよね」と言い合うしかない。
週末に本棚に本を入れていたら、数年前に関西のイベントにふらっときた人が「はい、ラブレター」と言ってくれた手紙が出てきた。
A4のコピー用紙には、あなた(=わたし)がブログを書きはじめてからだんだんテンション高めの旅行記に移行していって、この人はそのうち不特定多数に発信することに疲弊してネットからはいなくなってしまうんだろうなと思ったこともあった、でも今も居てくれてありがとう、できれば文章を書き続けて元気に長生きしてね、みたいなことが書かれていて、たしかにこれはラブいレターだ。これをくれた人はさまざまな理由で消えたり亡くなったりした人を見て来たのだろうなと、手紙をもらった当時もぼんやり思ったが、その実感は年月が経ってこの手紙を手にするごとにリアルになっていくのだった。
書くものが変わってもつまらなくなっても、わたしが消えずに川底の石みたいにここに在る、そのことはだれか見知らぬ他人にとっての救いになりうる、という思いが常にある。この手紙はその証拠のひとつで、胸にしっかり錨を下ろしてくれている。