沙東すず

以前はメレ山メレ子という名前で「メレンゲが腐るほど恋したい」というブログを書いていました

飽きの壁

三国一の書斎の写真を見ますか?

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ここで毎日帰宅してシャワーを浴びてごはんを食べたあとは0時まで文章を書いて、もし目が冴えて寝つけないときは一杯飲んで寝ると決めた。

書くことが目の前にあればこんなに簡単なものかと思うが、長らく自分の書くものに飽きている期間があった。

ほとんどの人が受け手より作り手になりたがる世の中で、わたしの文筆のキャリアは吹けば飛ぶようなものだ。とはいえ、その中での実感として、創作を仕事として長く続けるにあたっての最大の障壁のひとつは「自分の作るものへの"飽き"とどう付き合うか」だと思う。生まれつき無尽蔵にアイデアが湧いてくる人、好奇心のアンテナがでかい人というのは創作者のうちのほんのひとにぎりで、ほとんどの人はひとしきり自分の中の衝動を棚卸したあとで「自分の作ったものに飽き飽きする」というフェーズを経ているのではないかと思う。もっとも身近なところでいうと、「自分の作った料理に飽きる」だ。

そこでみんな、外部からインスピレーションを得ようとしたり、千差万別に努力をする。金太郎飴のように偉大なるマンネリを貫くことで一定のポジションを築く人もいて、世の中では馬鹿にされがちだけれど、あれは実際ファンにとってはとても安心感があって嬉しいものだろうし、簡単にできることではない。一方で「まあ本業も忙しいし、理解してくれる人もわずかながらそばにいてそこそこ楽しく暮らせてるから……」と思ってしまったのが当時のわたくしです。

そして不本意ながら書きたいことが目の前に顕れてしまい、いまはとにかく前に進むために文章を書いているわけだが、これが終わったあと、書くことが自分の人生でどういうポジションに落ち着くのかは自分にもわからない。目的は書き続けることでもひと山当てることでもなく、自分の人生をどうましにするかなので、長い目で考えた上で今度こそほんとうの選択をすることになるのだと思う。