沙東すず

以前はメレ山メレ子という名前で「メレンゲが腐るほど恋したい」というブログを書いていました

佳境

長かった体調不良が明けるとともにめきめきと活動的になってきて、しかし不調が長すぎた間に溜まっていたやるべきことが押し寄せ、ブログも書けなかった。具体的には旧居の売却をすませ、文学フリマにあわせて書いている原稿は今まさに佳境だし、中国出張のビザ申請をしたらパスポートがメケメケしている(5年前に誤って洗濯したため)という理由で弾かれて大慌てで出張日程を変更しパスポートを再申請するところからの再クエストで慌ててる間にビザ制限自体が緩和されそうな勢い、新居の不動産取得税も軽減申請して、その合間に食器棚の天板にタイルを貼ろうと思って注文したら4シートのつもりが4ケース来ちゃうし、今週末はいきもにあだしでもう大変。


食器棚は夢のようにかわいくなった。天才かもしれない、玄関には誤発注のタイルが箱で積んであるけど。メルカリデビュー待ったなしだ。
机を作っては天板の表裏を間違え、壁を塗っては引き戸の裏を塗り忘れ、タイルを貼っては誤発注をする。すず工務店だったら3回つぶれているところである。趣味でほんとうによかった。

にわかに丁寧な暮らしに目覚め、お弁当を作るかたわら鉄瓶で白湯を沸かしている。白湯はまろやかでおいしい。おいしいような気がする。常に味覚に自信がなく「水道水と白湯でブラインドテストされたらわかるだろうか」と自問してしまうのだが、たぶん…わかると思う…。
すべて執筆からの逃避行動でもあるが、生活が楽しいという感覚が手元に戻ってきた気がする。

「人は立ち直らないままの人をなかなか許さないんです」という言葉を下記のインタビュー記事で読んで、最近ずっとそのことについて考えている。
「病気のおかげで」は本当? 「立ち直りの物語」を求める心理の正体:朝日新聞デジタル
文章を書いていると、手は惰性で立ち直りの構文に近づいていく。オチをつけたいという誘惑。実際書くこともふくめていろいろと足掻いて、実際取り戻してきたんだからそれはいいだろうと思う一方で、これだけきつい思いをして書くのに結局読み手に迎合して安直に走るのでは意味がないし、底にいたときの自分への裏切りなんじゃないかと感じている。自分だけは、あのくちゃくちゃになったときの自分を忘れずにいてやりたい。