醒めない

10/6(土)7(日)の昆虫大学2018を終えて上海に帰ってきました。
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国慶節の休みで直前の一週間を丸ごと準備に使えるし、いけるやろ…と踏んでいたが最後はやっぱりヘロヘロだった。







昆虫大学はこれまで3回やっているけれど、なんだか今回は特別だったような気がして、まだ夢の中にいるような気持ち。帰りの飛行機の中でも時間の感覚がおかしくなってそわそわして、この飛行機はほんとうに上海に着くのだろうか、よくある夢みたいに現実感がないままどこかへさまよい続けるのではないか、と不安になった。
単に来場者数が2157名(再入場者数を含みません)と大きくジャンプアップしたというだけではなくて、
・ただでさえ土壇場にならないと力が出ない学長が中国にいる
・そのため、今まではほとんど組織化していなかった(学長・工作大臣・デザイン大臣の3人だった)運営をチーム化して、できることはなるべく手分けして動いた
・これまでの集大成として分厚すぎる同人誌「昆虫大学シラバス」を編集してイベントで初売り
など、はじめての挑戦ばかりだ。どれひとつとっても課題が大きすぎる。
昆虫大学は昆虫の良いところを同好の士と共有する趣旨のイベントなのだが、今回は本当にスタッフ・出展者・来場者のすべてから、人間の良いところを見せてもらいすぎてくらくらしている。関係者も総勢2200人がみんなで好きなものの話をして、混雑時にもおたがい楽しめるように譲りあって、想定外のトラブルにも精一杯の対応をしてくれていたということになる。書きたいエピソードばかりなのに考えがまとまらない。
書くとすれば運営のことだろうか。わたしは思いつきで暴走するわりには雑で詰めが甘いので、忙しくなってくると「まあこんなもんでいいか」と端折ってしまうところがあるのだが、今回はそれを運営スタッフがひとつひとつ正してくれた。
来場者数が多すぎてチケットが足りない!となって、もうとりあえず他と識別できる小さな紙ならいいよ、人手足りないし、とわたしは言ったが、当日スタッフの美大生たちが「こういうのは思い出に残るものだから、少しでもいいものにしないと」と楽屋で超スピードの仕込みをはじめて、レアな絵柄を混ぜたりして遊び心まであるかわいいチケットにしてくれた。
(昆虫大学そのものの取材ではないのだが)(だからこそ厄介でもある)会場にテレビのクルーが来てちょっとした面倒が発生したときも、「テレビの人がしょうもないのは毎度のことだし」と諦めそうになったわたしを工作大臣が止めて、言うべきことはきっちり言っていた。ほかのスタッフも、お客さんからよく出る質問にはすぐに掲示を追加したり、混んでいる場所を見つけて動線を変えたりという工夫を情報共有しながらやってくれた。来た人が楽しめたとすれば、それは「基本的には学長の好きにさせてやるけど、自分の持ち場で妥協はしないよ?」という最強の人たちが、空間のすみずみまでビッと気合いを入れてくれたからだ。

あんまり関係ないけど、この動画を思い出した(見ると泣くのであまり見ないようにしている)。
youtu.be
日常はいいことばかりではないし他人とも分かり合えないことの方が圧倒的に多いけれど、それでもたまにめちゃくちゃ心が通じた気がしてしまうときがある。それが思いこみや錯覚だとしても、わたしが今生きていくにはそんな錯覚がちょいちょい必要だな、と思う。大分には九州新幹線通ってないけどな!

夜の散歩

クーラーの効きすぎたオフィスや家にいると体が冷えるので、家の近所を夕方から夜にかけて散歩することがある。上海の街はどこもかしこも開発されまくっていて、ビルとか夜景とか正直いってぜんぜん好みじゃないけれど、川が多いのはいいと思う。夕暮れだけは上海も悪くない。そこら中を意識の高い上海人ランナーが走っているので、暗くなっても歩いていて怖くないのがいい。
むわっとする空気の中、川沿いの道を音楽を聴きながら歩いていたら、いま周りにいる人たちみんな言葉が通じないんだな、なんて気楽なんだろうという気持ちになってくる。寂しい気持ちもあるけれど、日本にいるときだって基本的には寂しかったわけだし、誰といても寂しいんだろうから次はまたどこに行ってもいいんだと想像する。
むかし中島らもか何かの本で「トンカチで頭をたたき続ける人生」というのを読んだことがある。トンカチで自分の頭をゆるく一定のリズムで殴り続けると、当然けっこう痛い。でも手をつかの間止めると、ジーンとなってちょっと気持ちいい。そのちょっとした気持ちよさを求めて、ずっと頭をトンカチで殴り続ける……というような話だった。
会社で働いたり、そのかたわらでいろいろ活動しているのも、トンカチで頭を殴り続けているのと何か違うんだろうか。生きていくためにやっていることだけじゃなくて、自分から望んだ楽しいはずのことも、いざ手をつけてみると9割は苦しい。1割が純粋に楽しければ御の字だ。降り下ろしたトンカチからたまに散る火花やオパールのきらきらした断面や見たことない色の内臓を眺めて、たまに感心したり喜んだりしながらだんだん死んでいくんだろうなー、と思いながら、空がはじから紺色になっていくのにまだ家に帰りたくないので少し困っている。

だけの関係

2年に一度やっている昆虫大学というイベントの準備で忙しい。本当はもっと前から忙しかったはずなのだが、一時期はよくわからないくらい精神的に低迷していてぜんぜん動けず、一緒にやるために集まってくれた人たちに気を揉ませてしまった。今は「中の人が変わったのではないか」と言われる程度にはなんとか動けている。あと2か月強、このテンションでやっていく道しか残されていない。
いろんな人にお願いしたりされたり、持ちかけたことに対してそれを上回るアイデアを出されたりみるみる形になっていくのを見ていると、もう何も食べなくていいし眠らなくてもいいやといった気持ちになる。気持ちの上下動が多すぎて正直疲れるので、ネットのメンタルヘルス診断みたいなのをちょっとやってみたのだが「落ち着かないことがありますか」→よくある といったクソの役にも立ちそうにない設問に答えていくうちに「いやいやいや、心が震えずして何が人間か!ワイは間違ってない!!」と開き直って終了した。
インターネットでできた友達と会っていると、それぞれ程度の差はあるが、お互い自分の精神を持て余しますよねーという前提で話ができるのがとにかく楽だ。

東京の家にいたとき育てていたサボテンやエアプランツはすべて、上海に来るときに人に預けてしまったのだが、上海でも花市場に通ったり通販で購入したりして、だんだん鉢が増えてきた。しかしいちばん場所を取っているのは、入居時からなぜか部屋にあるモンステラだ。切れこみの入った葉が鉢から横に投げ出されるように伸びてきて、ちょっと鬱陶しい。なんとなくハワイ感があって自分では買わないタイプの植物だが、中国に来てすぐの頃はこれが唯一の友達的な精神状態だったことを思うと、お引き取り願うのも気が引ける。「体だけの関係」とか「腐れ縁」とかの単語が胸に浮かぶ。植物にしてみればわたしとの関係はぜんぶ「水だけの関係」なんだけど。
「原稿だけの関係」というのもある。依頼するほうもされるほうもあるが、たとえば依頼されるほうだと「○○みたいな文章を」だとまあ頑張りますみたいな感じで、「今まではちょっと違ったこういうものを書いてほしい」とか言われるとテンションとしては告白されたに等しく、好意を知覚する繊毛がめちゃくちゃサワサワする。
お仕事なのであえてそこをくすぐっている編集者さんも当然いるだろうけれど、赤の他人に「普段やってないことをやってみてほしい、あなたにはそれができると思うし見てみたい」っていうのは、つまりめっちゃ好きってことだと思う。少なくとも、わたしがイベントに協力してくれる人に原稿なり展示なり販売なりをお願いするときはそういう気持ちでやっています。
こんなに自分の中に他人への好意が眠っていたのか……と自覚できるので、こういうイベントをやるのは本当に楽しい。人として生き直している感じがする。ここまで重たい「だけ」があるだろうか。

水に落ちる性格

仕事で中国に来ているというと「大変そう……」という反応をされることが多いですが、いちおう社内で中国駐在の公募が出たときに自ら応募しているんですよ。報知のメールについていた「応募する」ボタンを、2時間くらい考えてポチッと押した。
当時のボスにも半年くらい前から「今の仕事はもう入社してから8年くらいやってるし、中国にも出張で何度も来てこっちの社員とのコミュニケーション取れてきたし、海外で働くことに興味がある。公募が出たら応募しようと思います」と話していて、ボスも応援してくれていました。出張中なのにわざわざ電話をかけてきてくれて「例の公募だけど、押した?いや、押していいんだよって言おうと思って。押したんだね!オッケー!よい週末を!(金曜日の夕方だった)」と言ってたのを覚えている。いい上司だなあ。
そんなわけで行くための土壌は整っていたし、あくまで期間のある出向なので現地採用とかに比べたらそこまで勇気がいる判断ではないはずだけど、就業ビザがなかなか下りず(本社での仕事との間に見た目上の連続性がないとかなんとか)、赴任まではずいぶん時間がかかった。
赴任までと赴任後の数か月、いやつい最近まで、ずっと緊張していたような気がする……。ボタンを押す瞬間はむしろ何も考えていないに等しく、「細かいことは押してから考えよう」くらいの気持ちだったので、押してから赴任までの期間が長いのはつらかった。根暗の考え、首を絞めるに似たり。

この前、中国でできた日本人の友達から「紹介したい男性がいるんだけど、自立した人が好きなんだって!メレ山さんはひとりで海外に来ちゃうくらい自立心があるでしょう?」と言われた。できれば自立してないよりは自立していたいとは常に思っているけど、はたして自立しているんだろうか……自問自答の結果出した答えは「水面をじっと見続けた結果水に落ちているだけ」だった。
目の前に穏やかな緑色の水面があって、堤防から身を乗り出して見ているとだんだん水面のことしか考えられなくなって、もう水に落ちるしかないような気持ちになってくる。ピラニアがいるんじゃないかとか足が立つかどうかとか、検討事項はいろいろあったような気がするけど、それ以上考えるのが面倒になってより過激な選択をしてしまうことが多いし、そういう時ってなんか「生きてる」って感じがする。でも「生きてる」って感じるときって、総じてわりと死に近いよね。ビビりのくせに怖がりたがりなので、自分に小さなチキンレースを仕掛けているうちにいつかポロッと死んでしまうのかもしれない。紹介ですか?数人で楽しくカラオケして何事もなく帰りました!

中国に来て1年が経ちました

「主人がオオアリクイに殺されて~」みたいなタイトルになってしまいましたが、2017年の7月24日に上海に赴任し、ちょうど1年が経ちました。
いろいろな経緯があって予定とはぜんぜん別の仕事を中国でやることになり、動悸がして眠れない夜もありましたが少しずつ慣れてきて今に至ります。せっかく海外で暮らしているのに、中国国内の写真を撮って公開できないのが残念です(邦人のスパイ容疑による拘束事件などもあり、会社の方針で不用意な写真撮影が禁止されてます)。
正直文章どころじゃねえ的な気持ちで果てしなく何かを書くことから遠ざかっていたのですが、つい先日夏休みで日本に一時帰国し、数か月前に帰国したときよりも自分の調子がだいぶ戻ってきていることを感じました。また、自分が繋がっていたいと思える人たちと繋がっているためには、曲がりなりにも何かを書き続けていることが今はいちばん重要だな、と強く実感した次第です。
中国に来る前に日記を書こうと準備していたウェブサービスは金盾によって軒並み規制されており、いちばん気軽に書けるのはなんと古巣の「はてな」だった。「はてな」はいいんかい、中国政府。と遅ればせながら気づいたので、すこし頻度を上げてここで書いてみたいと思います。昔のようなテンションの高い長文旅行記や万人に読まれることを強く意識したものは、もう書かないだろうけれど。デザインももっと日記的なボソボソとした文章に適したものに変えてみました。

Webちくまの書評コーナーに、最近読んだ3冊について書かせてもらいました。二村淳子編『常玉 モンパルナスの華人画家』津村記久子『これからお祈りにいきます』マイケル・ボンド『くまのパディントン』の3冊です。津村記久子さんは本当にいいですね、わたしが小説を書けたらこんなのが書きたい……。
www.webchikuma.jp

旅と死とガーナの棺桶と新しい家の本『メメントモリ・ジャーニー』発売のおしらせ

昨年夏から亜紀書房のウェブサイト「あき地」で書いていた連載『メメントモリ・ジャーニー』が、同名の本になりました。8/25から書店等で扱っていただいています。
何の本かというと説明がややこしいのですが、旅と死の本です。旅と死の本とは何かというと、こんな具合です。

それでは、「旅と死についてのエッセイ」と聞いた人は、通常はどんな内容を期待するだろうか。わたしがこの本に書いたことは、おもに以下の3つのカテゴリーに大別できる。

1.旅先で心に浮かぶ、人生や故郷、家族や友人への思い
2.西アフリカ・ガーナで自分のためのオーダーメイド棺桶を作りたいと思い立ってから、お金を集めて実際にガーナに行き、棺桶を日本に持って帰ってくるまでのお話
3.東京に住むひとり暮らしの30代勤労女性が古いマンションを購入し、リノベーションを施して住まいを手にいれるまでの記録

これを分かりやすさ度合いで自己採点してみると、

1.まあまあ分かる
2.だいぶ分からない
3.「旅と死」はどこへ……?

という感じになる。だが、あくまでわたしの中では、これらの要素はがっちりと絡みあい、いつか訪れる死の瞬間を前にどこに行くのか、何を目指すのか―という「メメントモリ・ジャーニー」を構成している。

(「はじめに」より)
今度こそキャッチーで売れ売れな本を作ろうと思っていたのですが、またしてもこうなってしまった。出版社のページで過去の連載の一部が読めるので、それを読んで合いそうと思った方には読んでほしいですし、合わなそうと思った方もとりあえず購入だけしてください。
メメントモリ・ジャーニー - 『メメントモリ・ジャーニー』、単行本が発売になります! | ウェブマガジン「あき地」

編集は前作『ときめき昆虫学(ときめき昆虫学)』のときも一緒に本を作ってもらった田中祥子さん、装丁は大岡寛典事務所さん、装画は西村ツチカさんです。またしてもめちゃくちゃかっこいい本になってしまいました。箔がキラッキラしています。

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メメントモリ・ジャーニー

メメントモリ・ジャーニー

棺桶展示について

また、本の中に出てくるガーナで作った装飾棺桶「ポテト・コフィン」を、ジュンク堂書店池袋店の9階芸術フロアで展示していただいています。展示期間は9月いっぱいを予定しています。ふだんはメレ山の家にある棺桶を見られる貴重な?機会ですので、ぜひお出かけください。展示会場では、『メメントモリ・ジャーニー』に出てくる本やアフリカの本などを集めた「旅と死のブックフェア」を開催しています。サイン本もフェア期間中はこまめに追加しています。

出版関連イベント

  • 8/30(火) TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」ミッドナイト・セッション出演(終了しました)
  • 9/3(土) ジュンク堂トークイベント(終了しました)
  • 9/27(火) 荻窪Title トークイベント「メメモジャ荻窪夜話」:申込受付中

www.title-books.com
関西の書店さんでもトークイベントができそうな気配です(追ってお知らせします)

書店・イベントスペースの方へ

POPデータ等はこちらをお使いください↓
メメントモリ・ジャーニー - 『メメントモリ・ジャーニー』書店用パネル・POPを作りました! | ウェブマガジン「あき地」
棺桶の展示やイベント、サイン本などのご相談もお待ちしております。