沙東すず

以前はメレ山メレ子という名前で「メレンゲが腐るほど恋したい」というブログを書いていました

おもバザ・文フリ出展のお知らせ/由布院行

イベント出展のおしらせ

11月は同人誌即売会にふたつ出展します。

① おもしろ同人誌バザール 11/3(金祝)@ベルサール神保町・ベルサール神保町アネックス

​11:00~16:00 入場料 1000円

ブース名:「も-26 沙東すず」

『昆虫大学シラバス』黎明編・乱世編を持っていきます。

また、文フリ用の新刊『奇貨』についても、試し読み冊子を準備しようと思います(配布できるかはまだ不明ですが、立ち読みは可能とする予定です)。

hanmoto1.wixsite.com

②文学フリマ東京37 11/11(土)@東京流通センター

12:00〜17:00 入場無料

ブース名:「G-28 沙東すず」

文学フリマでは新刊のエッセイ『奇貨』を初売りします。同じ島のワクサカソウヘイさんのブースで販売されるZINEにも寄稿しています。
『奇貨』の内容および寄稿についてはあらためて紹介記事を書く予定です。
むりやり読ませた人たちには「面白い…と感想を言ってしまっていいのかな?」と言われがちなのですが、渾身の内容になりました。わたしのこれまでに書いたものの中でいちばん好き、あるいはいちばん嫌いという人が多いと思う。ぜひおたちよりください。

bunfree.net

 

由布院行

10月下旬、実家のある別府に帰省した。両親の金婚式をやろうというので、ひさしぶりに父と母、そして四人の娘と、末の妹の三人の子供たちが集結することになったのである。

沙東家は記念日やセレモニーのたぐいにかなり無頓着なファミリーなのだが、父も80歳を迎え、両親の結婚50年という節目の年なのでお祝いしよう。せっかくなら別府から山を越えたところにある由布院温泉の旅館に一泊しよう、と、おもに長姉の提案で話が進んだのでした。

金曜の夜に実家に着いて一泊したが、家に4匹いるはずの猫たちは怯えあがって隠れてしまい、ほとんど姿を見ることがなかった。昔はこの家にも甘えてくる猫がいたのだが、あまりにも観測不可能なのでわたしにはもう顔と名前が覚えられない。この家の猫は仕事をしない。ただの野良猫が家の中で安穏と暮らしているだけ!!

 

土曜に起床後、由布院の宿のチェックインにはまだ間があるので妹は子供たちを志高湖に連れていき、上の三人は父と姉の運転でドライブに行く。二番目の姉も運転を練習している。この家でペーパードライバーのままなのはついにアタイだけ…。

由布院をいったん通りすぎ、九重連山の入り口である長者原という高原へ。別府よりもかなり気温が低く紅葉はすでにピークを迎えており、登山好きの長姉は山を眺めて登りたそうにしている。長者原には一面のススキがそよいでいた。

この辺にも子供のころはよく父に連れられて来たはずなのだが、車で連れまわされているだけだと土地勘はまったく育たないものである。高原ソフトクリームを買ってもらうとかならず吐く子供を、よくあんなにドライブに連れ出してくれたものだ。

家に戻り、由布院に向けて再出発する。泊まったのは金鱗湖のほとりにある「亀の井別荘」という宿。由布院の中でも由緒ある宿で、別府を一大観光地にした油屋熊八という実業家が特別なお客を招くために建てたところ。実際に草庵を任された中谷巳次郎は加賀の庄屋の生まれだったが、趣味人が過ぎて財産を使い果たし、流れ着いた別府で熊八と出会ったそうです。趣味が身を滅ぼし、趣味が身を助ける。ちなみに中谷巳次郎は雪の研究者・中谷宇吉郎の叔父にあたり、宇吉郎は「由布院行」という随筆も書いている。

www.aozora.gr.jp

まだ深閑としていたころの由布院の風情が偲ばれる。いまは車を寄せるのも大変なほど観光客がひしめき、表通りには謎のキャラクターグッズのお店が並んでいます。

しかし旅館の広大な敷地はうそみたいに静かで、外の世界と隔絶されていた。単に広いからというだけでなく、由布岳の借景も含めて計算し尽くされている様子。さすが趣味で身代を潰して興した人間のすることはスケールがでかい。宿泊のお値段もまあ大変なことに。ふだんはがつがつ観光するため宿にはお金をかけない人たちなので、いろいろと別世界で新鮮だった。

我々がため息をつきながら受付をすませ、出されたおはぎを食べていると建築オタクの母が調度品を眺め「…これは清朝の壺やな」。その後も入念なしつらえチェックは続き、最終的に「アンタらにはこの違いがわからんかのう」と言っていた。これは母としては最大級の賛辞。賛辞なのに怒られが発生しとる。

文豪向けスペースを発見したので、ゲラを読む(ふりをする)などした。

ふたつの離れに分かれて泊まったのだが、それぞれが広大すぎたので9人全員がひと棟に泊まれた気がする。しかし間取りが贅沢すぎてそうならないのが老舗旅館。

粋が過ぎて、ポットやコンセントなど生活感のあるものがすべて見えないところに隠されており、まあまあ探した。スマホのケーブルを挿したはずがコンセントから抜けているという怪現象もたびたび起き、「粋人の呪いでは?」と話す。たしかに巳次郎はコンセントの存在を許せなさそう。

茶化してばかりいますが、ほかの宿泊客とほとんど顔を合わせない凝った造り、お庭のみっしりした苔や大きく育った樹木の時間の経過を感じさせる美しさ、さりげなく飾られたアフリカの仮面など、とにかく美意識が高いお宿だった。写真には写りづらい厚みがあった。

お庭で一同で記念写真を撮ったが、甥っこ姪っこたちはまだ写真をありがたがる歳ではないため大暴れしていた。家族旅行や記念写真、子供のときはまったくありがたみがわからんよな…。

お夕食に用意してもらった広間で、星飛雄馬のクリスマス会みたいな写真を撮られて爆笑する文豪。

夜は同じ敷地内のバーに一杯飲みに行き、翌朝ちょっとだけ由布院を散策して地元のお酒などを買って帰った。甥姪たちは解散間際にやっと心を許してくれた感があったが、次に会うときはまた初期値に戻っているのだろう。

由布院は実家から近すぎて、よく遊びには行くが泊まるのははじめてだ。金鱗湖に流れこむ小川で川魚をすくってきて飼ったり、夜ホタルを見に行ったりした思い出がある。亀の井別荘と同じ敷地にある土産物屋は、むかしはアジアや中東の古い雑貨を扱っていて、子供心にわくわくする場所だった。

懐かしくも新鮮な気持ちになる家族旅行でした。父は「毎年来ようか!ウフフ」と言っていたが、来年はグアテマラ探鳥旅行ですよお父さん。

野菜直売所でいけるという強い気持ち

先週末はマメコ商会といっしょに、京都で「いきもにあ」に出展していました。

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事前の話では「試着ができないから服はフリーサイズのボトムスやバッグが中心でそんなに量は多くない」という感じだったような気がするが、実際に広げてみるとなかなかの量がある。結局、見かねた周囲からの申し出によりハンガーラックをお借りするという大罪を犯す。しかしながら、最近はマメコ商会のブースもそこそこちゃんとしてきていたのもあって、初期のディグる感じは懐かしくもあった。

体裁の部分はたしかに整えたほうがよくて、単価を上げることにも直結するのだけれど、売る側として「野菜直売所方式でもいける」と思えているのはそれなりに強い気がする。わたしにもイベントを開催するとき、正直いって似たような感覚がある。

過去の経験から「関西(というか東京以外)のイベントでは服が売れない」とわたしたちは思っていたが、今回は好調だった。いきもにあがイベントとしてどんどん成熟しているから、というのもあるでしょうね。

ブースに座って「売れるのって楽しいね」「売れてると眠くないし疲れない」「芸能人が売れたいと思うのも、虚栄心とかではなくこういう気持ちなのかも」「もっと売れたいね」「売れてぇ〜」という話をする。

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いきもにあで購入したものたち。「deer bone hai」さんの鹿の骨でできたメデューサのブローチが美しくて不穏で、たいそうお気に入り。

昔アール・ヌーヴォーのジュエリーの図録を読んでいたら、ヤマタノオロチのような宝石をちりばめた海竜の首飾りに「淑女が海の怪物ケートスのモチーフを身につけることには、勇者ペルセウス募集中の意味があった」というキャプションが付されていた。首飾りはめちゃくちゃかっこいいのにしょうもないな……と思ったのだが、そうだとすればメデューサの首を身につけることには「みずから勇者となって怪物を倒す!」という意味があるはずである(ペルセウスは鏡の盾でメデューサを倒したあと、海竜ケートスをメデューサの首で石化する)。

いきもにあ初日はマメコのお友達のみなさんとおばんざいを食べ、イベント終了後は大阪に向かってワクサカソウヘイさんと合流し、夜の3時まで飲んだ。よく売り、食べ、笑って、しみじみと楽しい週末でした。

帰ってきてからはずっと原稿を直していた。初稿は気持ちのぶれが大きくて読みにくいところが多々あったので、2稿にするのにも時間がかかったが、だいぶまとまってきたと思う。何人かに読んでもらい、感想も聞けたのですこし肩の荷が下りた気持ち。やはり書くことが解毒に繋がっていたと思う。

順調にいけば、11/11(土)の文学フリマ東京が初売りになります。タイトルは『奇貨』です。

 

原稿も仕事も忙しかったが、九谷焼の上絵付の講習にも行った。12月からは月一回で通いはじめる予定。

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今回は体験講座なので、先生の呉須の骨描きの上に絵具をのせるだけ。ガラス質の粉末は焼成すると色が変わる。はやく骨描きを練習したい。磁器を教えているところは少ないみたいだけど、器づくりの教室にも行きたい。

ちょっと頭が飽和したので、今週末は2稿をなんとか上げたあと、休日出勤の予定をやめて東京国立博物館の「やまと絵」展に行ってきた。伴大納言絵巻に信貴山縁起絵巻、鳥獣戯画と百鬼夜行絵巻もあるという豪華さだったが、豪華すぎて人の列が微動だにせず、あまり見た気がしなかった。絵巻物、大勢で見るのにあまりにも不向き。貴族になってゆっくり見たい……。さまざまな料紙を繋げた古今和歌集や金箔で豪華に加飾された平家納経など、紙の本の装丁や書が好きな人なら堪らないだろうなという感じはあった。

佳境

長かった体調不良が明けるとともにめきめきと活動的になってきて、しかし不調が長すぎた間に溜まっていたやるべきことが押し寄せ、ブログも書けなかった。具体的には旧居の売却をすませ、文学フリマにあわせて書いている原稿は今まさに佳境だし、中国出張のビザ申請をしたらパスポートがメケメケしている(5年前に誤って洗濯したため)という理由で弾かれて大慌てで出張日程を変更しパスポートを再申請するところからの再クエストで慌ててる間にビザ制限自体が緩和されそうな勢い、新居の不動産取得税も軽減申請して、その合間に食器棚の天板にタイルを貼ろうと思って注文したら4シートのつもりが4ケース来ちゃうし、今週末はいきもにあだしでもう大変。


食器棚は夢のようにかわいくなった。天才かもしれない、玄関には誤発注のタイルが箱で積んであるけど。メルカリデビュー待ったなしだ。
机を作っては天板の表裏を間違え、壁を塗っては引き戸の裏を塗り忘れ、タイルを貼っては誤発注をする。すず工務店だったら3回つぶれているところである。趣味でほんとうによかった。

にわかに丁寧な暮らしに目覚め、お弁当を作るかたわら鉄瓶で白湯を沸かしている。白湯はまろやかでおいしい。おいしいような気がする。常に味覚に自信がなく「水道水と白湯でブラインドテストされたらわかるだろうか」と自問してしまうのだが、たぶん…わかると思う…。
すべて執筆からの逃避行動でもあるが、生活が楽しいという感覚が手元に戻ってきた気がする。

「人は立ち直らないままの人をなかなか許さないんです」という言葉を下記のインタビュー記事で読んで、最近ずっとそのことについて考えている。
「病気のおかげで」は本当? 「立ち直りの物語」を求める心理の正体:朝日新聞デジタル
文章を書いていると、手は惰性で立ち直りの構文に近づいていく。オチをつけたいという誘惑。実際書くこともふくめていろいろと足掻いて、実際取り戻してきたんだからそれはいいだろうと思う一方で、これだけきつい思いをして書くのに結局読み手に迎合して安直に走るのでは意味がないし、底にいたときの自分への裏切りなんじゃないかと感じている。自分だけは、あのくちゃくちゃになったときの自分を忘れずにいてやりたい。

喉に魔が棲む

先月からずっと喉の調子が悪くて、菌なのかウイルスなのかは知らないが、とにかく魔が棲みついている。もともと風邪はいつも喉からひくほうなのだが、抗生物質を処方されて数日飲むと劇症は収まるものの、朝起きるとまた喉に違和感が……という感じ。口にテープを貼ったりマスクをして寝たりと、乾燥を避けるためにあらゆる手段は講じているのだが。
9月に入ってからもそれが続いていて、市販薬でごまかしていたら熱が上がりはじめ、結膜炎の症状も出て数日寝こんでいた。寝こみながらSNSを見ていたが、同じように具合が悪い人が多い。この夏はとにかく暑すぎるのがいけないのかもしれない。
春先にせっかく減った体重を戻したくなくて、コンビニで買える範囲の粗食で過ごしていたのも関係がありそう。というわけで、野菜の宅配サービスを再開した。
前の家の近くにはスーパーがほとんどなかったので申し込んだ宅配サービスだが、今の家では必要ないかと思っていた。しかし、その日何を食べたいか考えて食材をそろえるのがとにかく苦痛で、引っ越してきてから数か月、ほとんどスーパーに行っていない。毎週強制的に数種類の野菜が届いて、それをどう料理するか考えるほうがわたしには合っている。自分でスーパーをまわるときには手に取ろうと思わなかった野菜が届いて、調理法を調べるのも楽しい。

レシピがあれば料理は作れるが、その日自分が何を食べたいか考えるのも、いちから食材をそろえて手順通りに食事を作り、消費して繰り回すのも苦痛で面倒くさい。人に作ったものを食べてもらうのも、口に合うかを過剰に気にしてしまうのですごく苦手。そういう衣食住の「食」にまるごとフタをしていた部分になにか打開策があればと思って読んでみた本。
料理研究家が「自分のために料理を作る」ことにそれぞれ悩みを抱える人たちと、実際にキッチンに立ちながら料理について考えていくという内容。ひとりめのしょうが焼きのくだりで、まさにどんな肉を買ったらいいかとか、手順に自信がなくてスマホでレシピを見ちゃうけど自分の血肉にはならない感じ、わかる……!となりました。それぞれの人の持っている生きづらい感と、食への困りごとはどこかでつながっている。
別に食事なんて適当でいいよ、おかし食べて寝ちゃおうよと言いたい気持ちもあるけれど、ふだんから食に関するやり過ごしかたの引き出しを持っていないと、いったん調子を崩したときに立て直せなくてずるずると蟻地獄にはまってしまう。しかし、調理に関する引き出しは一朝一夕には増えない感じがあるのがまた面倒くさいところ。
三連休は外にも出られず人にも会えないので、病院に行ったきりであとはせっせとごはんを作っていた。

ふるさと納税で届いた鯛あらをグリルで塩焼きにしてみたら、美味しくて感動した。新しい家のグリル、無水で焼ける!ひっくり返さなくても両面が焼ける!焼いたものが水っぽくならない!洗うのもそんなにめんどくさくない!びっくりしすぎて喉がおかしいのにシークヮーサーリキュールを飲んでしまった。
ちゃんと自炊したらビルトイン食洗機の便利さも身にしみた。実際には洗浄機能はまだほとんど使わず、シンクで洗った食器をつっこんで乾燥のみで使用しているが、水切りかごに食器を詰まなくていいのでキッチンが美しい。感動的。
しばらくはキッチンのポテンシャルを楽しみつつ、なんとか養生していくつもり。

部屋に希望の灯を点す

仕事上はなんとなくイベントが少なく平和な週だった。その分やらないといけない作業が溜まっていて、どこか鬱々としている。そんな中で通信講座の説明会を受けてみたり、いややっぱり違うな、と思い直したり、上映終了が迫っていることに気づき『ヴァチカンのエクソシスト』を観に行ったりした。日本では思ったより興行収入が健闘して上映期間が延びていたらしいが、危ないところだった。
「悪魔祓いの神父がスクーターに乗ってるところを観たい」くらいの軽い気持ちだったが、エクソシストものを一切観たことがない初心者でもわかりやすく楽しめるいい映画だった。祓魔のシーンもかっこいいし、ある登場人物の成長と変化も良い。悪魔憑きか心の病気かを注意深く見極めつつ、人を救うためにジョークを飛ばしながらフラットになすべきことをする神父の姿勢も素敵で、たしかにカリスマ性がある。底本となった『エクソシストは語る』を読んでみたかったのだが、古書が高騰しているので島村菜津『エクソシストとの対話』をちょっとずつ読んでいる。こちらにも映画に通じる悪魔憑きの事象がたくさん出てきて興味深い。

インプットに貪欲になっているのは、人と会う機会を絞っているのに加えて精神が元気になってきている証拠なのだろう。書いているものは進まないが、起きてしまったつらいことを書くのは果てしなく巨大な円をずっと地面になぞって歩いているようなもので、ある意味単純作業なのだが円が閉じるまではずっと苦しい。人に読ませるならもっとスマートな円を描くべきなのだが、これは創作物というよりは吐瀉物なので、まずは大きな円を描ききってから考えることだと割りきる。

土曜は休日出勤したが焼石に水……。
日曜は朝からコミティアのための発送、宅本便の発送と餌コオロギの受け取り、その間を縫って家のあちこちをいじる。




引っ越してくるまでは前の家よりだいぶ広くなって管理しきれるか心配だったが、掃除はむしろしやすくなっていて、ものの配置や動線を考えるのが楽しい。これがリアル箱庭療法か、と考えながら、吊るしたいものに穴を開けたりねじを留めたりしている。
棺桶の横の「希望」のネオンサインはAmazonで売っているやつで、数年前から欲しかったもの。ボルタンスキーを思い出すと複数の人に言われましたが、棺桶の横にあるとたしかになにかの現代アートっぽいね……。
マンドラゴラについてZINEに小話を書くことになっていて、その参考文献を探しにジュンク堂池袋店に行く。池袋駅にはかなりヤバめのぶつかりおじさんがいると聞くので、自分もガンガゼになったつもりで心して歩く。
ひさしぶりの大型書店に心が踊り、そして新居の本棚にまだ余裕があるという慢心から、9階から1階まで練り歩いたあげく図録や図鑑を抱えて帰宅。理工書フロアでは出版事業から撤退した東海大出版会のお蔵出しフェアがあり、悲しく思いつつも勇気を出して『日本産魚類生態図鑑』を買った。重めの図鑑を買うたびに「どうせ使いこなせないのでは…」と不安に駆られるが、探すころには高騰していることが多すぎるので買わずにはいられない。

買ってきた本もそこそこに「マンドラゴラといえば……」と、宮田珠紀『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』を読み通す。あらためてめちゃくちゃ面白くて、この薄曇りのような明るさと飄々たる様が宮田さんのお人柄そのものだなと思う。
ZINEに書こうと考えているのはもっと陰惨な話なのだが、いつかはこういう、うるさくないのに陽気さに満ちたものが書けたらいいな。

ほんものの顔、ほんものの心臓

今日も今日とてメソアメリカ古代文明のことを考えています(昨日書きなぐった『アステカ王国の生贄の祭祀』のまとめ感想は、あらためて読み返すとどうやらだいぶ間違った要約になっていたので書き直しました)。
メソアメリカ文明の文化や美術といえば、わたしにとって最初の思い出は中学生か高校生のころ、地元の大分での展示に母と行った記憶。生贄の血を注ぎ心臓を入れるための器、しかも手や足の形をした真っ赤なやつがたくさん並んでいて「なんかキツかったね」「うん……」と言葉少なく家に帰った。いま解説文などとあわせて見れば、また違う感想を持てるかもしれない。とはいえ今回の東博の展示は、人身供儀の猟奇的な部分にのみ関心が向きすぎないよう、細心の注意を払っていたように思う。

メキシコ展に行こうと思ったのは、グアテマラに行く予定があるからというのもあるが、佐藤究の小説『テスカトリポカ』を読んでいたから。一昨年の夏、東北への旅行に向かう途中でふとKindleで読みはじめ、気づけば寝る間も惜しいくらい夢中だった。
果てしなく続くメキシコの麻薬抗争から敗走しながらも復讐を誓う元カルテル幹部のバルミロ・カサソラと、手術への重圧からコカインに手を出して轢き逃げ事故を起こした心臓血管外科医の末永充嗣。ふたりがジャカルタで出会うことで、最悪の臓器密売ビジネスが生まれる。
バルミロの祖母・リベルタはインディヘナ出身でテスカトリポカに仕えた神官の子孫であり、カルテルと関わって死んだ愚かな息子にかわって孫たちを育て、生き方を定めるものとしてアステカの神話と儀式を教えた。このアステカ神話と人身供儀が麻薬や臓器売買といった現代のブラック・キャピタリズムと結びつき、やがて日本の川崎を舞台にさらなる暴力の物語を織り上げてゆく。
ウィツロポチトリ、トラロック、シペ・トテク、そしてテスカトリポカ。耳慣れない名前の神々や、アステカ王国のとてつもない富と労力をかけて行われる壮麗な人身供儀。特に、神の化身として選ばれた壮健な青年に対して一年の準備期間を費やして行われる「トシュカトルの祭り」の描写は圧巻で、その世界観に吞まれつつ「なぜアステカの人はそこまでして生贄を必要としたのか?」という疑問が育っていった。
ほんの数か月前、ほんとうに精神が参っているときになにか別の物語で脳を埋めたくて、この小説しか読めない時期があった。それはこの小説が豪奢なまでの暴力に満ちていながら非常に乾いていて、泥のように湿った心情と逆に相性が良かったからだと思う。バルミロの悲願であるはずの対立カルテルへの復讐心もどこか他人事のように乾いているし、末永充嗣に至っては、まさに現代的な悪を体現するかのようなスマートで有能で空虚な気持ち悪さ。

古く高度な文明の遺物を見ると、「もっと良いもの」を目指して伸びていく植物の蔓のような人の心が現代と変わらないことに圧倒される。その「良いもの」を求める心は多くは当時の宗教観と分かちがたく結びついていて、「良いもの」とはこの場合「聖なるもの」なのだけれど、一見すると血腥く野蛮な風習と「聖なるもの」を求める気持ちが、古代の人たちの心の中でどのように結びついていたのかを知りたい。

「アステカ人を分かりたい」という僕の渇望は、つまるところ「宗教的人間を理解すること」あるいは「宗教現象を解釈すること」への渇望であることを認識させてくれた。
(『アステカ王国の生贄の祭祀』序文より)

自分にもそういう気持ちがあるなあ、と考えながら『テスカトリポカ』のことを思い出すと、この小説の中でアステカの供儀は決して暴力を彩るおどろおどろしいだけの舞台装置ではなく、人が何のために生きて血を流すのかを問うための横糸であると感じられる。

おまえたちの小さな胸に手を当ててごらん。どきどきしているのがわかるだろう? そうだ。心臓(コラソン)さ。心臓(ヨリョトル)さ。おまえたちはそれをまだ見つけてはいない。未熟すぎて、神様とつながっていないからね。

おまえたちが神様のために犠牲を払ったとき、はじめて顔がこの世界をきちんと眺め渡すことができる。そして聖なる心臓を見つけるのさ。おまえたちの父親には、それがわからなかった。だけど、おまえたちはアステカの戦士だ。おまえたちは本当の『顔と心臓(イン・イシトリ、イン・ヨリョトル)をちゃんと手に入れて、助け合って生きるんだよ』

『テスカトリポカ』でリベルタが4人の幼い孫たちにかける言葉。いまこの言葉がわたしにとって重く感じられるのは、信じる神がないままほんものの顔、ほんものの心臓を探しているからだろう。

古代メキシコ展の週末

土曜は4時に起きて病院での大腸カメラ、帰宅後は工務店の人と窓の改装の相談、さらに本棚の整理をすすめる。
日曜は磯に行くか東博の古代メキシコ展に行くか迷ったが、磯で長時間活動すれば即座に熱中症になりそうな暑さのため東博を選択。来年行く予定のグアテマラではティカル遺跡も訪れることになりそうなので、予習としてもちょうどいい。東博に来るのは昨年のポンペイ展以来。
カメラの準備をしていて、E-M5とTG-6の予備バッテリーを入れたポーチをまるごと失くしているらしいと気づいてショックを受ける。さらにバッテリーをネットで注文しようとしたら、TG-6のバッテリーはオンラインストアでも販売終了していてさらにショック。TGシリーズは水中撮影できるコンデジとしては他に選択肢がない状態なので、このまま後継機が出ないなんてことになるとかなり困るな……。
古代メキシコ展はなかなか混雑していた。展示品はすべて撮影可能で、夢中になって撮っていたら第一展示室だけでバッテリーがなくなってしまう。予備バッテリーがないのでやむなくスマホで撮影。

マヤ文字の碑文。中国や日本の書道と同じく、当時はおもに紙に筆で記し美しさを追求するものだった。近年急速に解読が進みつつあるそう。

壁に投影されていたマヤ文字の数字が美しくも難しすぎて、わたしが古代の書記官であったら「もうちょっと簡略化していきませんか?」と愚痴ってしまい即座に心臓をえぐり出されていたな……と思ったのだが、実際にはこれは暦や祭祀などに使われる表記でもっと簡略な数字表記もあったと図録に書いてある。そりゃそうか。

アステカ文明のトラルテクトリ神のレリーフ。巻き毛をふり乱して上を向き、火打ち石のナイフを口から突き出している。

マヤ文明の都市国家・パレンケの神殿から辰砂に覆われて発掘された「赤の女王」の豪華なマスクや副葬品。パレンケの重要な支配者であったパカル王の王妃と考えられている。


ショップで図録や面白そうな本を買って帰ったのだが、特に『アステカ王国の生贄の祭祀』がすごく良かった。一時は絶版となっていたが、復刊ドットコムで復刊された本らしい。

メソアメリカ文明に関する展示を見ると、絶え間なく続く戦闘と供犠にウッとなってしまうところがどうしてもある。その血腥さに対する好奇心も個人的には否定しきれないのだが、供儀の風習自体は世界各地に残るもので、単なる野蛮さのあらわれと切り捨てるには人類にとって大きな意味を持ちすぎている。
「アステカの人身供儀は血液によって神々を養うために行われた」、つまり宇宙という時計のような機械を滞りなく動かすために血液が必要だと考えられていた、というのが近年の定説「《機械》のアナロジー」である。しかしアステカ供儀には「神々から人間が血を頂く」という側面も存在し、生きものも天体も大地も同じ血液を分け合うひとつの巨大な生命体の一部であり、人間がこの生命体から血を頂いて返すことがなければこの世界そのものが死に至るという「切実な感覚」があったのではないかと説く──あれだけの畏怖や捧げるという行為の痕跡を見たあとでは、たしかにそれくらい確固とした世界観が共有されていたのかも……と思えた。
幾度となく読んだ佐藤究の小説『テスカトリポカ』に通じる部分もたくさんあって、またあらためて感想を書きたい。